
『世界の行ってみたい100サーフポイント』
“ エルサルバドル ”
ロスアンジェルスから5000KM。
エルサルバドル。
空港のある首都サン サルバドルは国最大の都市である。
そこから1時間で、多くのサーフポイントに到着できるし、
通貨として米ドルが使用されるようになったため、ドル圏からの旅行者が増えているようだ。
昔のサーフィン専門誌『SURFER』に掲載されていたセントロアメリカの風景。
ブレイクする無人の波。

未開の地を旅するノートンと ピーターソンが 1970-80 年代にエルサルバドルのポイントを紹介するまで、
ほとんど語られることはなかったとようだ。
その頃のエルサルバドルはアドベンチャーサーフィンの黄金時代。
1980 年頃までに、ラ リベルタードのプンタ ロカ (別名ザ ポイント)
のなどがポイントブレイクの大半が知られるようになってはいたが、エルサルバドルで内戦が始まった。
1990 年代にかけての内戦と政治的不安定により、残念ながら訪れる人はいなくなった。
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しばらくして、内戦の和平協定が締結され、2000 年代初頭にプンタ ロカの名前が世界的に知られるようになってきた。
それ以後、この国は着実に発展し、プンタ ロカ、エル スンサル、ラス フローレスやプンタ マンゴなどのポイントを
訪れるサーファーも増加してきた。
そして、有名な波の周りにキャンプやロッジが出現し始めた。

今日、エルサルバドルは、完璧なレギュラーを求めるサーファーにとってラテンアメリカの目的地の一つになった。
特に近年若く新しい大統領が就任してからは、道路などのインフラ整備とサーフィンも含めた観光に力を入れたおかげで
世界アマチュア大会やプロツアーも開催されるようになった。
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ロサンゼルス空港から乗り換えて
エルサルバドルの空港に着いたのは夜遅くになってからだった簡単な入国手続きを終えて外に出ると、
暗い中でドライバーが待ち受けていた
『コモエスタ』
少し英語が通じるドライバーに挨拶し、なんとか会話をしながら、
宿泊先のEL TUNCOエリアへ向かう。
1時間ほどぐらいかかりそうだ。
何もないジャングルのような道をしばらくドライブすると、
小さな町に着く、
『ここがラリベルタ-ドの街』とドライバー、『この左側が有名なプンタロカ』と教えてくれたが、
真っ暗闇で何も見えない。

そこから少し、走るとEL TUNCO という小さな町につき、そこがこの辺りの宿泊、レストラン、サーフショップがある中心地になっているようだ。
宿のオーナーは夜遅くにも関わらず、小さな町を案内してくれ、まだ空いているレストラン&屋台のような店を何件か紹介してくれた。
地元のビールとピザのような食べものをお腹に入れると、急に睡魔が襲ってきた。

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翌朝、時差ボケの頭を抱えながらサーフボードレンタルの店に行くと板がずらっと立てかけてある。
テイクオフの速そうなミッドレングスを借りる。
『1日$25だけど、特別に$20で』
円安で高く感じるが、サーフボードを抱えていく手間と飛行機のチャージを考えると
そこは個人の判断になる。

親切な若いサーファーが、海の目の前まで案内してくれ、ポイントの入り方を教えてくれた。
『右端に見える岩場のポイントがEL SUNZAL』
歩いて行くと10分くらいはかかりそうだ。
『岩場の近くまでビーチを歩くと、出るのは楽だよ。玉石に気をつけてね』
そこだけ岩が沖へ飛び出していて、かなり沖から綺麗なレギュラーがブレイクしている。
どんな波なのか楽しみだ。
米国のサーフ雑誌に、水平線からの完璧立ち上がったレギュラーの波が掲載され、
エルサルバドルのサーフィンの初期の頃、このポイントは宝石のような最高の波と言われていたらしい。

ピークから大きなサーフボードでゆったりと乗るスタイルが優雅な時代だ。
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何日か後に今日は西方面のkー59方面に向かってみようということになった。
街から30分〜1時間ほどドライブすると何個かのポイントがある。
広い丘の上に出る、そこは見晴らしが良く遠く眼下に2つのポイントが見える。
『あの左側が K 59そして少し離れて割れてるのが K 61』
見たところ、どちらもかなり良さそうだ
早速ビーチの方に降りて行くことにする
『バモス!(LET’S GO)』

ポイントの前には何軒か宿、こじんまりしたロッジが建っていて、
朝夕ここで波乗りしているサーファーがいる。
雰囲気はメローな感じなので、良いバイブが漂っている。
5 月から 10 月まで続く南半球の冬は、雨季でもあり、サーフ シーズンでもある。
朝夕は風が無いが、昼にはオンショアが吹く。
気温と水温は年間通じて高い。
午後にはスコールが降る可能性が高くなり、局地的な激しい雨もある。
4輪駆動で乗り越える必要のある小川が、ポイントの近くには流れていた。
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この国の海岸線は南を向いていて、長さは 200 km。
波を求めて、海岸線のトリップは短く快適だ。
1年中ウエットスーツのいらない暖かい水、陸もトランクスでも過ごせる平均気温の高さ。
ビーチブレイクもあるが、主として有名なのはポイントブレイクだろう。
やや混み合ってはいるが、比較的ユーザーフレンドリーな波質とローカルのバイブが旅行者を引き寄せる、
注意点としては、ポイントに並ぶ滑りやすい玉石。
初心者や中級者のサーファーにとっては新しい経験(ロックダンス)になる。
また、エルサルバドルでは太陽光線が非常に強いので、十分なサンブロックと水分補給が必要。
乾季は南半球の夏に相当し、11 月から 4 月まで続き、
エルサルバドルのサーフィンのオフシーズンとなる。

冬のサーフ シーズンに風が弱いこともあり、
初心者のサーファーに良い時期かもしれない。
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ラリベルタードの町は、大きな漁村のような街で、
野菜や服を売ってる大きなマーケットもあり賑わっている。
港の近くには魚屋が並んでいて、熱帯の地方独特のカラフルな魚や巨大な魚が並んでいた。

取れすぎた魚は解体され、陸揚げされた船の上で天日干しにされていた。
ここの桟橋から遠くに見えるポイントがラパス。
そして、その奥にあるのが、大きくなればなるほどパーフェクトのブレイクになるらしい『プンタ ロカ』
ラパスの波は少し厚めのロングライド可能な良い波。
波のパワーも日本と同じくらい。沖からテイクオフできるとかなり長い距離を乗っていける。
手前の玉石は少し注意が必要だ。
滞在中、サイズは安定し、頭サイズ以下になることはなかった。
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宿泊地のEL TUNCOエリアに多くの宿泊場所があり、
目の前の『ボカナ』はビーチブレイクで数名のサーファーが楽しそうに波乗りしている。
旅行者のためのトレンディなスポットに変貌しつつあるTunco の雰囲気と、
ユーザーフレンドリーな Sunzal の波を組み合わせると、
若い地元のサーファーから、
ビギナースクールの女の子までの幅広い許容範囲がありそうだ。

その影響は、週末の夜。
首都サン サルバドルからの戦士たちと観光客がミックスされ、
レストランやディスコ風の店が未明まで営業し、パーティタウンとなる。
中心街の宿泊は気をつけたほうが良い。
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東海岸/オリエンテ地域は約 100KMほどに位置し、
この地域にも有名な波『ラス フローレス』と『プンタ マンゴ』がある。
そこにも数多くのサーフ キャンプもあり、
ツアーを通じて探索できる、あまり知られていない他の波があるらしい、
エルサルバドルは小さな国だが、世界クラスの波、その波質、サイズの安定性。
空港からの便利なアクセス、米ドルの広範な使用、そして安定した政治情勢、
エルサルバドルは北米から最も訪問しやすい目的地の 1 つになっているようだ。
日本からはやや遠いが、混み合う前に訪れてみたかった場所の一つではあった。

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ライター;南 夏海
大学在学中からサーフィン出版社に出入りし、
東南アジアサーフトリップ、創業。
映像、ライセンスビジネスなどの会社設立。
ブランドオーナー、サーフクルーズCO-OWNER。
早稲田大学卒。
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