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『マイバケットリスト』#25

『世界の行ってみたい100サーフポイント』

” インドネシア / ニアス島 “

   

ヤシの木をバックに長い壁の波、無人の波の上に太陽が反射し輝きを増している。
綺麗に盛り上がった美しいうねりは、左方向へ完璧に長く伸び整っている。

日本の昔の雑誌に載っていた波は私の目を引きつけた。
その場所の名前が『ニアス島』というらしい、スマトラの沖の島と聞いた。

赤道直下のジャングルがあるスマトラは椰子の木や河川も荒々しい。

    

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1970年代から始まったオーストラリアサーファーたちのインドネシア開拓は、バリ島からはじまりジャワ島、、スマトラ島へ向かい、
その後ヒッピー文化と相まって、マレーシア、インド、ネパール方面へと繋がって行った。

その過程でスマトラの北にあるニアス島には伝説の波があるという噂。それに惹きつけられた何人かの若者が発見した秘密のナミ。

20歳と22歳のラヴェットとジーゼルは東南アジアを旅し、完全な混雑していない波というサーファーの夢を追い求めた。
彼らは北スマトラの首長の家で見た地図によってニアスを知り、伝説的なサーフトラベラーのピータートロイとも合流した。

ジャングルの中を15 km移動した後、湾に到着し、ラヴェットが言ったように、『6〜8フィートのアーモンド型のチューブの波』
彼らは地元の人に頼んで小屋を建て、3か月間滞在した。

発見時に一緒にいた人々は、場所を秘密にするための協定を結んだ。

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しかし、ジーゼルは旅行中にマラリアを発症し、発作を繰り返し、7か月後に肺炎で亡くなり、
相棒のラヴェットは、その後、何度も再訪し、地元の人々をサポートした。

当時のヒーロー、トロイは最近のインタビューで語っていた。
『飛行機の値段も高く、貧しいサーファーはみんな船やバスを使って旅行していた。
昔の長いサーフボードを持って移動するのは、大きなピアノを抱えてトリップしていたような感じだよ』

長年漏れないように約束されていたようだが、カメラマンがその波を写真に収めると、
それは一気に拡散し多くの人の知るところとなっていった。

未知の世界を見てみたい、若者が青春時代に思う夢。
誰もいない完璧な波の場所で波乗りしたい。サーファーが常に思う夢。

    

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長く深い湾の入り口にたどり着くとハルカ遠くの水面にうっすらと波が砕けているような白い場所が見える。

サーフボードを持って砂浜を30分ほど歩くと、徐々にその姿が見えてきた。
不思議な湾の端で波が割れ、綺麗な長いショルダーを持った波。

      

『どこから来たんだ』

『日本から』

『珍しいね以前にも何人か来たことがある』

少し英語を話す宿の主人はそう言って迎えてくれた。

『2階の部屋が空いてるのでそこで寝てくれ』

階段を登って窓のない吹き抜けの広間、その両サイドに部屋が三つある。
右端の部屋に入ると、蚊帳が吊るされ、質素な壁から隙間風が吹き込んでいる。

    

何日か後、夜中に雨が降ると天井から水が滴り落ちてくるので、急いでカッパを取り出し寝入った。
びしょ濡れにならないようにベッドの上に横たわって朝を迎えた。

  

翌朝起きると、波は無人のまま何本も崩れている
まだ地元の若い子達はサーフィンを始めていなく、周りのバンガローにも、ほんの数人の旅人サーファーがいるだけだった。

泊まった宿には一人のオーストラリア人。
そしてもう一人はヒッピー風の旅行者。
2階のテラスから見えるきれいな波、質素な部屋に吊るされた蚊帳。

主人が薪で起こした火で焼いてくれるココナッツ入りのパン。電気はもちろん無し、夜はランプの生活、
マラリアの危険もあるので薄い長袖と薄いパンツを着て、朝夕を過ごす。

そして目の前にある優雅な波。

    

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小さい波が続いた後、朝から波の崩れる大きな音がして目が覚める。
オーバーヘッドの波のようだ。急いで着替え、リーフの隙間をゆっくり歩いて線路のようになった岩の割れ目からパドルアウトする。
大きなうねりを見ながら裏から回りこみ、パドルしてピークに近づくと何とも言えない高揚感が漂う。

バリ島で友人たちと別れ、長距離バスに乗りジャカルタへ、
薬局でマラリアのタブレットを購入し、スマトラ島のメダン経由でニアス島へ向かう。

ネットで購入できない時代、旅行代理店を探し、安い飛行機のチケットを購入。
週に2便しか飛んでないのでフライトは明日になる。

       

メダンの町はインドネシアでもかなり大きく貿易や工業で賑わっているようだ。
翌朝宿を早く出発し、小さなプロペラ機が止まっている空港からゆっくりと飛び立った。

1時間もしないで到着したニアスでは空港出迎えの人たちが群がる中から乗合のバスを見つける。

島の南端にあるポイントを目指す乗合のバスの天井には、食料、鶏、雑貨と一緒にサーフボード、
窓にはガラスのない6時間のドライブで顔は埃まみれ。

途中でいくつもの尾根を越え、頼りない橋で小川を渡り、到着したのは午後も遅い時間になっていた。

英語が喋れる人が聞いてきた

『 サーフィンに来たんだ』

『そうかじゃあ私が適当な場所で止めてあげるからそこから歩いて行くといいよ』

決まったバスの停留所はないので運転手に合図し、
サーフボードを受け取る。そこからまた乗り合いのトラックに積み替えられ、湾の入り口にたどり着いた。

    

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メインブレイク。

右側のリーフの間を歩いて、パドルアウトでき、3フィート以上になると本領を発揮する。
地震後に浅くなり、以前よりも良くなったとの噂もある(地元の人はそう強調するが)

波が小さい時は、インサイドで胸肩くらいのサイズでロングライドが可能となる。

セットの波をテイクオフ、一度少し上に持ち上げられるような感覚でボトムへ向かい、
長い波をフルスピードで駆け抜けて、深くなった場所でプルアウト。

『バグース!』

ある程度のサイズまではみんなが楽しめる極上の波だが。
波がオーバーヘッド以上になると、二段に掘れ上がるチューブになるので気をつけてね。

波は素晴らしく風もほぼ無い状態、赤道直下のため昼の日差しは厳しく日焼けがきつい。
2−3日小さい波が続く、その後また大きなうねりが入り2ー3日続くとまた小さくなり、また次のうねりで大きくなる。
2週間は、ほぼこのようなパターンが続いていた。

波の流れが一定で、風の影響を受けづらいので、
一年中がシーズンだと言われているが、5月から9月の間に最も大きくなり、人も多い。
オフシーズンに行くのはどうだろうか?

2000年前半に起こった地震後に、島全体のリーフが隆起し、波が長くなっていると言われている。

     

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帰り道はニアスのポイントから船でスマトラ島に 戻ろうと考えた。

近くの港町テレクダラムから対岸のシボルガまで貨物船が週に一回往復しているらしい。
この近くにも、高品質のサーフポイントがあり、混雑はないらしい。

地元の若い子にバイクに乗せてもらい船着き場に行くが何曜日に船が出るのか分からない。
ある人は月曜だと言い、ある人は水曜ぐらいかなと。

一旦戻ってまた1−2日後、港へ行くと今日の午後、船が着くらしい。
しかし出航は明日か明後日だ。急いで引き返し再度荷物をまとめ港へ明日向かうことにする。

船着き場についている小さな貨物船はココナッツを山のように積み込んでいる最中だ。
乗客が優先ではないのでココナッツ搭載が終わるまで乗ることはできない。

やっと積み終わり、船に乗り込むが貨物が多くて横になる場所もない、そして船のキャプテンが街から戻ってこないので、
いつ出航するかはわからないという。

夜の帳が下りる頃になって、エンジン音が大きくなり、ココナッツの実とエンジンの熱気で暑苦しい船内に少し風が入ってきた。
海峡をゆっくり、ゆっくりと船は月夜の中をスマトラ島に向かって走り出した。

     

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混在が嫌で、人のいないシークレットを求めるなら、ボートを友人とチャーターして、北へ向かうとレフトとライトの波があるらしい。

ニアスの沖にはヒナコ諸島があり、ここにも上級者向けのワールドクラスの波とサーフキャンプがある。
行くならスピードボートをお勧めする。

ニアス島の北方面、アフルエリアにも何箇所かの混み合っていないポイントがあるらしい。

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こんな場所でサーフィンできるなんて、幸福なんだと感じたのは何年も前のことだが、
ここに辿り着かせてくれたいろいろな人に感謝する気持ちが湧いてきたは、この時が初めてのことだった。

      

ライター;南 夏海
大学在学中からサーフィン出版社に出入りし、
東南アジアサーフトリップ、創業。
映像、ライセンスビジネスなどの会社設立。
ブランドオーナー、サーフクルーズCO-OWNER。
早稲田大学卒。   

    

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